2010年04月21日

「龍馬ブーツ」大人気、注文1か月半待ち

「龍馬ブーツ」大人気、注文1か月半待ち
2010年4月20日(火)16時23分配信 読売新聞

 幕末の志士、坂本龍馬が履いていたブーツを再現した「龍馬ブーツ」が、人気を集めている。

 長崎市浜町の靴店「ドン・シューズ」が、龍馬が写った写真を基に製作、販売中。全国から熱心な龍馬ファンが購入に訪れるが、生産が追い付かず、注文しても約1か月半待ちの状態だ。ゆかりの観光施設にも展示されている。

 高さ約20センチの焦げ茶色で、オーダーメード。幕末当時、米国帰りの日本船の乗組員が履いていたブーツを参考に、米国産のバファローの皮を材料にしている。靴底には、坂本家の家紋も入っている。

 楠本逸雄社長(79)が2002年頃、龍馬ファンの知人から「どうしても履きたい」と頼まれて製作に着手。ブーツを履いた龍馬の写真を参考にしたが、ブーツの大部分がはかまに隠れていたため、わずかに見える部分の形状や文献から全体像を想像した。

 約3年前に販売を始め、これまでに約120足が売れた。大河ドラマ「龍馬伝」放映に伴う龍馬ブームの到来で、急激に販売数が増加。昨年夏から靴底に入れ始めたシリアルナンバーはすでに103番になった。注文の約8割は県外からで、北海道や大阪などからも客が訪れる。「神棚に飾る」と言って買い求めた人もいたという。

 完成度の高さが評判となり、現在、長崎市内では亀山社中記念館と長崎まちなか龍馬館で展示されている。数年前には、高知市の坂本龍馬記念館の企画展にも出展された。

 楠本社長は「幕末の雰囲気が味わえるブーツ。龍馬を愛する人に履いてもらいたい」と話している。1足4万5000円。問い合わせは、ドン・シューズ(095・822・9010)へ。(財津翔)

★★★

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ラベル:龍馬ブーツ
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2010年04月19日

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第16回「勝麟太郎」

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友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・第16回「勝麟太郎」4/18

土佐を脱藩した坂本龍馬福山雅治)は4年ぶりに江戸・千葉道場に現れる・・「お前に会いに来たんだよ、佐那!!4年も待ったかいがあったな・・」と兄の重太郎(渡辺いっけい)

龍馬福山雅治)を一途に待ち続けていた佐那貫地谷しほり)も、兄の重太郎(渡辺いっけい)も龍馬が戻ってきたことを喜ぶ

しかし龍馬福山雅治)は、軍艦奉行並のに会うために江戸に来たのだった

佐那貫地谷しほり)はがっかり

重太郎(渡辺いっけい)龍馬福山雅治)は、前越前藩主・松平春獄(夏八木勲)に会い、への紹介状をかいてもらうことに成功する

「私は坂本龍馬です。昨日まで川の下で野宿していた男が、今日は紋付袴で天下の松平春獄さまの前におります。このように面白い人生を送るもんはほかにはおらんです・・」

松平春獄(夏八木勲)は・・「面白い男ですな・・」

この1週間前・・江戸幕府には武市半平太大森南朋)らに護衛され帝の勅命を携えた三条実美が将軍家茂の前に現れた・・「速やかに上洛して攘夷実行の期日を明言すべし・・」

龍馬福山雅治)は紹介状を携え、赤坂にある、の屋敷を訪れる

の屋敷で龍馬福山雅治)の前に現れたのは、龍馬福山雅治)の幼馴染で饅頭やの長次郎(大泉洋)だった。

長次郎(大泉洋)は日本のために役にたちたいという志をもって江戸に出てきたのだった

龍馬福山雅治)はの弟子になりたいと申し出るが、は拒否する・・

「お前みたいなあんぽんたんとつきあっているヒマはないんだよ・・」

「たしかにわしはなんちゃわかっとらんです。けどわしは攘夷も開国もありませんき、ただ日本をまもりたいですきに・・!!」

「きやすく言うなっ!!

ただは、後日、武市半平太大森南朋)を通じて、龍馬福山雅治)が幕藩体制に個性的な見解を持っていることを知る

武市半平太大森南朋)は書生の長次郎(大泉洋)

「饅頭やのくせに・・」

長次郎(大泉洋)

「そういう言葉を使うようになったとは・・私にも志があります・・お気をつけてお帰りください・・」

数日後、品川のイギリス大使館が長州藩の過激な攘夷派に襲われ火事になった・・

龍馬福山雅治)はに呼ばれた

「おまえさんはオレの考えをはかりにきたんだろう・・」

龍馬福山雅治)は

「勝さんは日本が異国に勝てると思いますか。。日本はどうしたらええと思いますか・・」

「お前さんはどう思う??」

「それがわかりません」

「いや俺の弟子になろうとするもの・・なんか考えがあるはず・・腹の底をさぐってみなさい・・お前さん軍艦に興味があるのかい??じっくり考えてみなさい・・

龍馬福山雅治)は

「日本は島国ですけん、異国は海からくるから・・強い海軍が必要かと・・わしは千葉道場で剣術を学びました。北辰一刀流の目録をもらいました。わしは強いですが、人を斬ろうとはおもわんです・・今、日本が異国と戦をしたところで負けることはわかっております・・けど強い海軍があれば・・誰にもまけん剣の腕があったら戦にはならんぜよ・・もうすでに日本は開国している・・異国に学んで海軍を作ったらええがじゃ・・ほかのもんもどんどん取り入れて異国にはりあえるほどの文明を手に入れたら、日本は安泰になるがじゃ・・そうじゃ、戦をせんでも攘夷を成し遂げることができるじゃが・・」

長次郎(大泉洋)に・・

「オレの負けだ・・けんど、負けるが勝ち・・よ・・坂本・・面白い・・合格じゃ。。おいらは捜していたんだ、日本の海軍を作る力を・・幕府の奴らは頭が固くていけねぇ・・わしは2年前アメリカをみてきた・・咸臨丸で・・オランダ製だがあやつったのは日本人だ・・太平洋の荒波にもまれているうちに日本人になった・・幕府だ長州だとさだと言ってる場合じゃない・・」

龍馬伝・第1回から第15回

龍馬伝・話題

龍馬伝・キャスト、登場人物

★★★

龍馬伝

龍馬伝

1. 大河ドラマ「龍馬伝」
2. 龍馬伝 - Wikipedia
3. NHK「龍馬伝」 | 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
4. 大河ドラマ「龍馬伝」
5. 龍馬伝 - Yahoo!ニュース

★★★

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2010年04月18日

龍馬伝・第1回から第15回

“走る枯れ木”かと思った! CMで走る福山雅治の「老化」が止まらない

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝

龍馬伝・話題

龍馬伝・キャスト、登場人物

龍馬伝・第15回「ふたりの京」
龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4
龍馬伝・第13回「さらば土佐よ」3/28
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第12回・暗殺指令・3/2117.7%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その221.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第10回「引き裂かれた愛」(3/6)20.4%

AKB48・前田敦子「福山龍馬かっこいい」…NHK「龍馬伝」出演

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第9回「命の値段」(2/28)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」(2/21)22.3%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第7回「遥かなるヌーヨーカ」(2/14)20.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第6回「松陰を捜せ」(2/7)21.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第5回「黒船と剣24.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」23.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3話「偽手形の旅」(1/17)22.6%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第2話「大器晩成」(1/10)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト・登場人物

★★★

龍馬伝

龍馬伝

1. 大河ドラマ「龍馬伝」
2. 龍馬伝 - Wikipedia
3. NHK「龍馬伝」 | 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
4. 大河ドラマ「龍馬伝」
5. 龍馬伝 - Yahoo!ニュース

★★★
ラベル:龍馬伝
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2010年04月12日

龍馬伝・第15回「ふたりの京」

“走る枯れ木”かと思った! CMで走る福山雅治の「老化」が止まらない

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・第15回「ふたりの京」4/11

文久2年(1862)8月26日、京に土佐藩主・山内豊範がはいった。実現させたのは武市半平太大森南朋)・・

「帝のお力で幕府を動かしていただきたい・・徳川将軍に帝の前で攘夷を約束させていただきたい」

武市半平太大森南朋)は公家の尊王攘夷派・三条実美(池内万作)に謁見し、徳川幕府に攘夷を実行させるために、帝の勅命を持って江戸に乗り込むことを提案する

武市半平太大森南朋)とともに京に入った平井収二郎(宮迫博之)は、妹の加尾(広末涼子)と久しぶりの体面をしていた

平井収二郎(宮迫博之)は、坂本龍馬福山雅治)が武市半平太大森南朋)を裏切り土佐藩を脱藩したことを加尾(広末涼子)に伝える

坂本龍馬福山雅治)は平井加尾(広末涼子)に会うため大坂から京に向かった。

京には三条家に仕える平井加尾(広末涼子)がいる

坂本龍馬福山雅治)が加尾(広末涼子)を訪ねてくると、加尾(広末涼子)は兄の忠告を破り、龍馬福山雅治)を知り合いの家に案内する

二人は互いをじっと見つめ、龍馬福山雅治)はしっかりと、加尾(広末涼子)を抱きしめる

岡田以蔵(佐藤健)は「土佐勤皇党」のため、天誅と称し開国派の人々を暗殺していた・・越後浪人。本間精一郎・・(先週は井上佐一郎)

以蔵(佐藤健)は使えるぞ・・」武市半平太大森南朋)は平井収二郎(宮迫博之)に言う

そのころ土佐に戻った岩崎弥太郎香川照之)は郷廻りをやめさせられ、農民と同様の生活を送っていた

喜勢(マイコ)は・・「暴れんでください、毎日おまんまが食べられるだけで幸せ・・」

京の龍馬福山雅治)は、加尾(広末涼子)から武市半平太大森南朋)の江戸行きの話しを聞くが

「攘夷の約束をさせてどうなるのじゃ・・日本は異国と交易を始めてる・・今さら黒船めがけて大筒を撃ていうがか・・わしはケンカせんと日本を守るためにはどうしたらええか・・それを教えてくれる人を捜したい・・

武市半平太大森南朋)は帝の護衛として江戸に行くことが決まり、平井収二郎(宮迫博之)は、妹の加尾(広末涼子)

「お前の役目は終わった、土佐に帰ってええ・・」と言う

「土佐に戻って私はなにをするがですか・・勝手なこと言わないでください、私は操り人形ですか・・龍馬さんと夫婦になる約束をしていたんです。土佐に戻ってもあの人はおらんき・・私がこの4年どんな思いで暮らしてきたか。。攘夷のためだったら何をしてもいいがですか・・」

平井収二郎(宮迫博之)

「そうじゃ・・なにをしてもええがぜよ、日本が生きるか死ぬかの瀬戸際・・邪魔をするやつは殺しても・・」

龍馬福山雅治)は岡田以蔵(佐藤健)と再開

なぜ脱藩をしたかと問う岡田以蔵(佐藤健)

「人にはそれぞれの道があるからのう・・おまんには武市さんがおる・・」

岡田以蔵(佐藤健)

「武市さんだけががきの頃からオレを侍として認めてくれた・・バカじゃき学問は身につかなかったけど、先生に教えてもらった剣術のおかげで生きてこれた。。まっこと優しきお方やき・・実はすごい仕事しとるが・・言えんちゃ・・・・このまえの越後に浪人が切り殺された・・」

龍馬福山雅治)は岡田以蔵(佐藤健)が殺人に手を染めていることに気づく

「以蔵、おまんが武市さんを慕っていることはようわかる・・けど人の道にはずれたことをしてはならん・・世の中にはいろんな人がおる・・日本が異国のものになっていいとおもう人はひとりもおらん・・日本人同士でケンカをしている場合じゃないぜよ。みんな力を合わせて異国に立ち向かわんといかんじゃき・・おまんは心根の優しい男じゃ、ケンカはすな・・まっこと強い男は滅多なことでは剣は抜かんき・・」

岡田以蔵(佐藤健)は帰り道・・

「龍馬はあんな男だったかのう・・ほんまに気が晴れて楽になれたのは久しぶりじゃ・・」・・

龍馬福山雅治)は

「以蔵は人斬りをやらされとる・・こんなばかなことがあってええのか・・こんなことが当たり前になったら日本は自ら滅びてしまうがぜよ・・どうしたらみんなをやめさせることができるがじゃ・・」

加尾(広末涼子)

「男の人ってどうしてそんなにあつうなるんやろ・・みんな日本を変えたいいう・・己の生き方は変えられん・いう・・江戸に勝麟太郎さまいう人がおるそうです。その人は日本のことを真剣に考える幕府の方だそうです・・勝麟太郎さま・・龍馬さんに生きる道を教えてくれるがはそのお人では・・私、龍馬さんに会えて嬉しかった・・天にも昇る気持だった・・私の知ってる龍馬さんではなくなってしまった、京に来たのは私にお別れを言うためだったのやろう・・私はここで夫婦のようなときを過ごせただけで幸せやき・・どうぞ江戸へ行ってください・・おまんさんは大きなことを成し遂げるためにこの世に生まれてきた人・・私のことは忘れてください・・」

龍馬福山雅治)は

「すまん・・けんどわしは本当に、お前に会いたくて来たがじゃ・・」

★★★

文久2年、10月12日・・帝の勅令を預かった三条実美は江戸に向けて出発した。

武市半平太大森南朋)も岡田以蔵(佐藤健)を伴って後に続く

加尾(広末涼子)は土佐へ戻り、龍馬福山雅治)は江戸に・・

龍馬伝・話題
龍馬伝・キャスト、登場人物
NHK大河 岩崎弥太郎のそれから

龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4
龍馬伝・第13回「さらば土佐よ」3/28
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第12回・暗殺指令・3/2117.7%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その221.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第10回「引き裂かれた愛」(3/6)20.4%

AKB48・前田敦子「福山龍馬かっこいい」…NHK「龍馬伝」出演

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第9回「命の値段」(2/28)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」(2/21)22.3%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第7回「遥かなるヌーヨーカ」(2/14)20.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第6回「松陰を捜せ」(2/7)21.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第5回「黒船と剣24.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」23.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3話「偽手形の旅」(1/17)22.6%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第2話「大器晩成」(1/10)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト・登場人物

★★★

龍馬伝

龍馬伝

1. 大河ドラマ「龍馬伝」
2. 龍馬伝 - Wikipedia
3. NHK「龍馬伝」 | 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
4. 大河ドラマ「龍馬伝」
5. 龍馬伝 - Yahoo!ニュース

★★★

「あんな“ウルサソウな夫”で幸せなの!?」オドロク程“昔”と変わらない石川秀美

春ドラマ期待度、1位は “キムタク月9”『月の恋人』
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2010年04月11日

勝海舟(武田鉄矢)

勝海舟役の武田鉄矢ほえる「龍馬役やりてえ〜」

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝NHK・午後8時・第14回「お尋ね者龍馬」4/4

勝海舟(武田鉄矢):幕臣・軍艦奉行。幕府ではなく日本全体による海軍の必要性を説いた。坂本龍馬福山雅治)の人柄を気に入り、神戸に海軍塾を開いたときには、坂本龍馬福山雅治)を塾頭に就かせた

勝海舟 / 勝 安芳(かつ かいしゅう / かつ やすよし)は、江戸時代末期から明治期にかけての幕臣、政治家。位階勲等は正二位勲一等伯爵。(1823から1899)

幼名および通称は麟太郎(りんたろう)。本名義邦 (よしくに)、維新後改名して安芳。これは幕末に武家官位である「安房守」を名乗ったことから勝 安房(かつ あわ)として知られていたため、維新後は「安房」を避けて同音(あん−ほう)の「安芳」に代えたもの。勝本人は「アホウ」とも読めると言っている。海舟は号で、佐久間象山から受領の篆刻「海舟書屋」からとったものである。

父は旗本小普請組(41石)の勝小吉、母は信。幕末の剣客・男谷信友は従兄弟に当たる。海舟も10代の頃は剣術修行に多くの時間を費やしている。家紋は丸に剣花菱。

山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。明治6年には福澤諭吉らの明六社に参加(勝安芳)。 1887年に哲学館(現:東洋大学)を創設した井上円了と親交があり、多くの寄付をしているため、「哲学館の三恩人」の一人と呼ばれている。

また、専修学校(現:専修大学)の繁栄にも尽力し、専修学校に「律増甲乙之科以正澆俗 礼崇升降之制以極頽風」という有名な言葉を贈って激励・鼓舞した

文政6年(1823年)、江戸本所亀沢町[1]の生まれ。父・小吉の実家である男谷家で誕生した[2]。

曽祖父・銀一は、越後国三島郡長鳥村[3]の貧農の家に生まれた盲人であった。江戸へ出て高利貸し(盲人に許されていた)で成功し巨万の富を得、検校の位を買い、米山検校を名乗った。銀一の子・平蔵は、御家人株を入手して男谷家を興した。男谷家は後に旗本に昇進した。その三男が海舟の父・勝小吉である。小吉は三男であったため、男谷家から勝家に養子に出された。勝家は小普請組という無役で小身の旗本である。勝家は天正3年(1575年)以来の御家人であり、系譜上海舟の高祖父に当たる命雅(のぶまさ)が宝暦2年(1752年)に累進して旗本の列に加わったもので、古参の幕臣であった。

幼少時、男谷の親類・阿茶の局の紹介で11代将軍徳川家斉の孫初之丞(後の一橋慶昌)の遊び相手として江戸城へ召されている。一橋家の家臣として出世する可能性もあったが、慶昌が早世したためその望みは消えることとなる。

生家の男谷家で7歳まで過ごした後は、赤坂へ転居するまでを本所入江町(現在の墨田区緑4-24)で暮らした

剣術は、実父小吉の本家で従兄弟の男谷精一郎の道場、後に精一郎の高弟島田虎之助の道場[4]で習い、直心影流の免許皆伝となる。師匠の虎之助の勧めにより禅も学んだ。

蘭学は、江戸の蘭学者・箕作阮甫に弟子入りを願い出たが断られたので、赤坂溜池の福岡藩屋敷内に住む永井青崖に弟子入りした。弘化3年(1846年)には住居も本所から赤坂田町に移る[5]。 この蘭学修行中に辞書『ドゥーフ・ハルマ』を1年かけて2部筆写した有名な話がある。1部は自分のために、1部は売って金を作るためであった。この時代に蘭学者佐久間象山の知遇を得た[6]。 象山の勧めもあり西洋兵学を修め、田町に私塾(蘭学と兵法学)を開いた[7]。

嘉永6年(1853年)、ペリー艦隊が来航(いわゆる黒船来航)し開国を要求されると、老中首座の阿部正弘は幕府の決断のみで鎖国を破ることに慎重になり、海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。これに勝も海防意見書を提出した。勝の意見書は阿部正弘の目にとまることとなる。そして幕府海防掛だった大久保忠寛(一翁)の知遇を得たことから念願の役入りを果たし、勝は自ら人生の運を掴むことができた。

その後、長崎の海軍伝習所に入門した。伝習所ではオランダ語がよくできたため教監も兼ね、伝習生と教官の連絡役も果たした。このときの伝習生には矢田堀景蔵、永持亨次郎らがいる。長崎に赴任してから数週間で聴き取りもできるようになったと本人が語っている。そのためか、引継ぎの役割から第一期から三期まで足掛け5年間を長崎で過ごす[8]。

この時期に当時の薩摩藩主島津斉彬の知遇をも得ており、後の海舟の行動に大きな影響を与えることとなる
本史上稀代の外交手腕と慧眼を備えた政治家・戦略家・実務家と評し心酔するファンがいる一方、理科系の教養に暗く[23]、大言壮語する成り上がりとして非常に毛嫌いする人も旧幕時代からいた。

坂本龍馬の文久3年の姉(乙女)宛ての手紙には「今にては日ノ本第一の人物勝麟太郎という人に弟子になり」とあり、西郷隆盛も大久保利通宛ての手紙で「勝氏へ初めて面会し候ところ実に驚き入り候人物にて、どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候」、「英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申し候」と書いている等、龍馬や西郷のような無私の人物からは高く評価されていたことがわかる。

福沢諭吉の『痩我慢の説』は福沢の持論の立国論が根本にあるが、名指しで勝と榎本武揚を新政府に仕えた「やせ我慢」をせぬものと批判している。何度となく要請されても在野にあった福沢だが、同時に屁理屈や大言壮語、道理に合わない点は老齢となってからも受け付けなかった点もある(10分は水に潜っていられると友人に語った学生の言尻を捉えて洗面器をもってきて顔をつけさせ誤りを認めさせた等)。『福翁自伝』でも勝に批判的なことからウマの合う合わないの点も推察される。

死の3日後、氷川邸に勅使がきて勅語を賜ったが、この勅語が人物評価の参考になるかもしれない。

幕府ノ末造ニ方リ体勢ヲ審ニシテ振武ノ術ヲ講シ皇運ノ中興ニ際シ旧主ヲ輔ケテ解職ノ実ヲ挙ク爾後顕官ニ歴任シテ勲績愈々彰ル今ヤ溘亡ヲ聞ク曷ソ軫悼ニ勝ヘン茲ニ侍臣ヲ遣シ賻賵ヲ齎シテ以テ弔慰セシム

語録
自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。
オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった
やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。(日本の行く末等を心配している人たちに)
文明、文明、というが、お前ら自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。親父はがんこで困るなどと言ってるよ。
敵は多ければ多いほど面白い。(勝自身も、生きている間は無論、亡くなってからも批判者が多いことは、十分に理解していた)
我が国と違い、アメリカで高い地位にある者はみなその地位相応に賢うございます。(訪米使節から帰還し、将軍家茂に拝謁した際、幕閣の老中からアメリカと日本の違いは何か、と問われての答弁)
ドウダイ、鉱毒はドウダイ。山を掘ることは旧幕時代からやって居たが、手の先でチョイチョイ掘って居れば毒は流れやしまい。海へ小便したって海の水は小便になるまい。今日は文明だそうだ。元が間違っているんだ。(足尾銅山の公害が明白になってもなお採掘を止めない政府に対して)
今までは人並みなりと思ひしに五尺に足りぬ四尺(子爵)なりとは(当初は子爵の内示だったが、左記の感想を述べ辞退、のちに伯爵を授爵した)
コレデオシマイ (亡くなるときの最後の言葉)

逸話
トラウマ
9歳の頃狂犬に睾丸を噛まれて70日間(50日間とも)生死の境を彷徨っている(「夢酔独言」)。このとき父の小吉は水垢離(みずごり)をして息子の回復を祈願した。これは後も勝のトラウマとなり、犬と出会うと前後を忘れてガタガタ震え出すほどであったという[24]。
福澤諭吉との関係
木村摂津守の従者という肩書きにより自費で咸臨丸に乗ることができた福沢諭吉は、船酔いもせず病気もしなかった。一方、勝は伝染病の疑いがあったため自室に篭り切り、艦長らしさを発揮できなかった。福澤はそれをただの船酔いだと考えていたようで、勝を非難する格好の材料としている。
海舟批判書状の『痩我慢の説』への返事
「自分は古今一世の人物でなく、皆に批評されるほどのものでもないが、先年の我が行為にいろいろ御議論していただき忝ないとして、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分は預かり知らぬことと考えています。)
咸臨丸の実情
和船出身の水夫が60人。士分にはベッドが与えられていたが水夫は大部屋に雑魚寝。着物も布団もずぶ濡れになり、航海中晴れた日は僅かで乾かす間もなかった。そのため艦内に伝染病が流行し、常時14、5人の病人が出た(今でいう悪性のインフルエンザか)。サンフランシスコ到着後には、3人が死亡、現地で埋葬された。ほかにも7人が帰りの出港までに完治せず、現地の病院に置き去りにせざるを得なかった。病身の7人だけを残すのが忍びなかったのか、水夫の兄貴分だった吉松と惣八という2名が自ら看病のため居残りを申し出た。計9人の世話を艦長の勝海舟はブルックスという現地の貿易商に託し、充分な金も置いていった。ブルックスは初代駐日公使ハリスの友人で、親日家だった。

勝海舟 - Wikipedia

1. 勝海舟
2. 幕末維新新選組 勝海舟

龍馬伝・話題
龍馬伝・キャスト、登場人物

1. 武田鉄矢 - Wikipedia

2. 武田鉄矢公式サイト
3. Amazon.co.jp: お?い!竜馬 11 霜月 (ビッグコミックス ...

武田鉄矢が勝海舟に扮し福山龍馬とタッグ
2010年4月2日(金)15時30分配信 日刊スポーツ

 タレント武田鉄矢(60)が2日、都内で、勝海舟役で出演するNHK大河ドラマ「龍馬伝」(日曜午後8時)の会見に出席し「わが人生の先生商売に悔いはございません」と語った。民放ドラマの影響で、中学生からは金八先生と呼ばれ、人間ドックに行けば看護師から緒方洪庵先生と呼ばれ、福山龍馬からは勝海舟先生と呼ばれているという。武田は「先生人生の上がりのつもりで取り組んでいる」と意気込みを語った。家族からは「福山龍馬はかっこいいけど、パパは暑苦しい」と言われているという。

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龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4(その2)

大河「龍馬伝」で抜群の存在感を見せつける意外な脇役たち

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・第14回「お尋ね者龍馬」4/4

龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4(その1)

坂本龍馬福山雅治)は大阪の土佐藩邸を訪ね、武市半平太大森南朋)と会う

武市半平太大森南朋)は

「お前は自分の考えがちがうと飛び出したが、正しかったのはわしらのほうじゃ・・」

坂本龍馬福山雅治

「吉田さまがおらんかったらすべてはうまくいく・・邪魔なもんをころすいうのは間違っています・・

武市半平太大森南朋)は

「戻ってき、龍馬・・」

坂本龍馬福山雅治)は・・「わしは土佐を捨てた男です・・」

武市半平太大森南朋)は

「みつからんように出て行きや・・」

武市半平太大森南朋)を慕う岡田以蔵(佐藤健)はなんの役目もないことに悩んでいた

武市半平太大森南朋)は岡田以蔵(佐藤健)

「わしは・・気楽に話しができる仲間がほしかったのだ・・わしの悩みを聞いてもらえる仲間が・・おまんを役付けにせんかったのは昔のまんまでいてほしかったから・・つらい思いをさせてすまんかったな・・」

岡田以蔵(佐藤健)は感涙・・武市半平太大森南朋)のためならなんでもするという・・

「土佐から吉田東洋暗殺の追っ手がきている・・わしらは都にはいれなくなる・・

岡田以蔵(佐藤健)

「その追っ手がいなくなったらええんですね・・わしにその役目をやらせてください・・」

武市半平太大森南朋

「おまんだけがわしの友達だ・・」

岡田以蔵(佐藤健)

人斬り以蔵となっていく・・

“走る枯れ木”かと思った! CMで走る福山雅治の「老化」が止まらない

土佐勤皇党

龍馬伝・話題

龍馬伝・キャスト、登場人物

龍馬伝・第13回「さらば土佐よ」3/28
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第12回・暗殺指令・3/2117.7%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その221.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第10回「引き裂かれた愛」(3/6)20.4%

AKB48・前田敦子「福山龍馬かっこいい」…NHK「龍馬伝」出演

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第9回「命の値段」(2/28)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」(2/21)22.3%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第7回「遥かなるヌーヨーカ」(2/14)20.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第6回「松陰を捜せ」(2/7)21.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第5回「黒船と剣24.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」23.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3話「偽手形の旅」(1/17)22.6%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第2話「大器晩成」(1/10)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト・登場人物

★★★

龍馬伝

龍馬伝

1. 大河ドラマ「龍馬伝」
2. 龍馬伝 - Wikipedia
3. NHK「龍馬伝」 | 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
4. 大河ドラマ「龍馬伝」
5. 龍馬伝 - Yahoo!ニュース

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龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4(その1)

勝海舟役の武田鉄矢ほえる「龍馬役やりてえ〜」

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・第14回「お尋ね者龍馬」4/4

文久2年(1862年)

坂本龍馬福山雅治)は土佐を脱藩し、姿を消して3ヶ月。

その頃、土佐藩では、吉田東洋(田中泯)暗殺後、武市半平太大森南朋)を暗殺した武市半平太大森南朋)が、藩の保守派と手を組み、藩主・山内容堂(近藤正臣)の上洛を実現していた

武市半平太大森南朋)は藩を動かすまでの力をつけていた。攘夷の嵐は日本中に吹き荒れていた。そして幕府の力は弱体化・・そのとき登場したのが勝海舟(武田鉄矢)だった

「アメリカは南北に分かれて戦争中、今は海軍を作る絶好の機会です・・

後藤象二郎青木崇高)は姿を消した坂本龍馬福山雅治)が東洋暗殺の実行犯とにらみ、犯罪を取り締まる役職にあった岩崎弥太郎香川照之)と井上佐一郎(金山一彦)にの捕縛を命じる

妻の喜勢(マイコ)は・・「おまんさん、もう反東洋派の時代。。いまこそしっかり立ち回るときじゃろう。やめてください・・ほんまに龍馬さんがやったと思ってるんですか・・龍馬さんにはさんざんようしてもらったがです・・」

岩崎弥太郎香川照之)は妻の喜勢(マイコ)を土佐に残し、井上佐一郎(金山一彦)とともに大阪に向かう

同じ頃、大阪の飯屋で沢村惣之丞(要潤)溝渕広之丞ピエール澱)とかつおのたたきを食べながら、脱藩したあとの龍馬福山雅治)の足取りについて話し合っていた

沢村惣之丞(要潤)と龍馬福山雅治)はともに脱藩したが下関で、龍馬福山雅治)は薩摩へ行くといい二人は別れたのだった・

7月12日、土佐藩主・山内豊範の上洛のため、武市半平太大森南朋)も勤王党の平井収二郎(宮迫博之)岡田以蔵(佐藤健)らとともに大阪に入る。しかし山内豊範ははしかにかかり床に伏せる・・

岡田以蔵(佐藤健)は「土佐勤皇党」のメンバーではなかったため仲間からは足蹴にされていた

岩崎弥太郎香川照之)は、坂本龍馬福山雅治)を見つける

「どうして脱藩なんか・・」

「すまんき、挨拶もせんと・・お前にはどういうていいかわからんかったき・・薩摩にいっとった・・薩摩は随分前から西洋と交易しとるきに。大きな船が見たくなって・・しかし薩摩にはいることはできなかった・・面白かった・・

「それが脱藩の理由か・・」

「違う・・わしだって攘夷の志はあった。わしが思う攘夷とほかのもんが思う攘夷はどうも違う。どこがどう違うといわれてもわからん・・」

「脱藩の理由はなんだ・・」

吉田さまを切ったのはわしじゃない。。おまんは郷廻り。。そんな役目おまえにはむかん、土佐に帰れ・・おまんらにわしは捕まえられん・・」

岩崎弥太郎香川照之)と井上佐一郎(金山一彦)は周囲をも巻き込んで、坂本龍馬福山雅治)を捕らえようとする・・が

「こんなとこで斬り合いなんかしたら迷惑・・兄上からもらった大事な刀、足蹴にされちゃかなわんのう・・」さらに・・

「いま日本はだれもみたことのない時代を迎えている。。攘夷派と開国派の争いはこの先ますます激しくなる。血なまぐさい時代がくるかもしれん、おまえはそんなことに関わってはいかんぜよ・・おまんは親兄弟のことを考えておったほうがええ、土佐へ帰れ・・」

坂本龍馬福山雅治)は凄みのある男に変わっていた。岩崎弥太郎香川照之)はそのまま船にのり大阪から逃げた・・

龍馬伝・第14回「お尋ねもの龍馬」4/4(その2

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龍馬伝・第13回「さらば土佐よ」3/28
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NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その221.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
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AKB48・前田敦子「福山龍馬かっこいい」…NHK「龍馬伝」出演

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第9回「命の値段」(2/28)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」(2/21)22.3%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第7回「遥かなるヌーヨーカ」(2/14)20.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第6回「松陰を捜せ」(2/7)21.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第5回「黒船と剣24.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」23.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3話「偽手形の旅」(1/17)22.6%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第2話「大器晩成」(1/10)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト・登場人物

★★★

龍馬伝

龍馬伝

1. 大河ドラマ「龍馬伝」
2. 龍馬伝 - Wikipedia
3. NHK「龍馬伝」 | 2010年の大河ドラマは坂本龍馬の生涯を描きます
4. 大河ドラマ「龍馬伝」
5. 龍馬伝 - Yahoo!ニュース

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沢村惣之丞(要潤)

勝海舟役の武田鉄矢ほえる「龍馬役やりてえ〜」

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・

沢村惣之丞要潤):岩崎弥太郎香川照之)と同じ最下層の地下浪人出身。

(さわむら そうのじょう 天保14年(1843年) - 慶応4年1月25日(1868年2月18日))は幕末の土佐の人物。別名に沢村延世・前河内愛之助・関雄之助などがある。

土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市潮江)の浪人の子として生まれる。間崎哲馬に師事し、学問を学ぶ。その後土佐勤王党に加入。

文久2年(1862年)に吉村寅太郎と共に土佐藩を脱藩。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩している。勝海舟の門下生となり、海援隊に属す。

慶応3年(1867年)には坂本龍馬殺害事件の容疑者であった三浦休太郎の暗殺計画に参加するが、失敗に終わった。

翌年には維新の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、沢村ら海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備した。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまう。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩側でさえ止めたが割腹した。享年26 沢村惣之丞 - Wikipedia

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龍馬伝・第13回「さらば土佐よ」3/28
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NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その221.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
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AKB48・前田敦子「福山龍馬かっこいい」…NHK「龍馬伝」出演

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第9回「命の値段」(2/28)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第8回「弥太郎の涙」(2/21)22.3%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第7回「遥かなるヌーヨーカ」(2/14)20.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第6回「松陰を捜せ」(2/7)21.2%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第5回「黒船と剣24.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第4回「江戸の鬼小町」23.4%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第3話「偽手形の旅」(1/17)22.6%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第2話「大器晩成」(1/10)21.0%
NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト・登場人物

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龍馬伝

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2010年04月09日

岡田以蔵

岡田以蔵は、1838年、土佐の郷士の子に生まれた。武市半平太に憧れ、小野派一刀流剣術を習得。その後、江戸で鏡心明智流剣術、豊か後で直指流剣術を学ぶ

その腕を半平太に見込まれ、土佐藩郷廻り・井上佐市郎を暗殺。

ここから人斬り以蔵としての人生をスタートさせる

薩摩藩・田中新兵衛と中村半次郎、肥後藩・河上彦斎と並ぶ「幕末四大人斬り」として恐れられた以蔵は、土佐勤皇党に加盟したが、加盟者名簿には記載されず、裏方に徹する。

しかし「人斬り以蔵」に待っているのは末路である

★★★

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

岡田以蔵佐藤健):土佐藩・下士。龍馬の幼馴染。武市半平太大森南朋)を慕い、武市道場で犬剣術を学ぶ。後に京都で「人斬り以蔵」と恐れられる

岡田以蔵(おかだいぞう、天保9年(1838年) - 慶応元年5月11日(1865年6月4日))は、土佐の郷士で土佐勤王党に加わった幕末四大人斬りの一人。「人斬り以蔵」と呼ばれた。諱は宜振(よしふる

香美郡岩村に二十石六斗四升五合の郷士岡田義平の長男として生まれる。弟に同じく勤皇党に加わった岡田啓吉がいる。嘉永元年(1848年)、土佐沖に現れた外国船に対する海岸防備のために父義平が藩の足軽として徴募され、そのまま城下の七軒町に住むようになり、以蔵自身はこの足軽の身分を継いでいる。

武市瑞山(半平太)に師事し小野派一刀流剣術を学ぶ。武市の門を叩く前にも、我流ながらかなりの剣術の腕前であった。武市に従い江戸に出て、鏡心明智流剣術を桃井春蔵の道場・士学館で学ぶ。

万延元年(1860年)、武市に従って中国、九州で武術修行する。その途中、豊後岡藩にとどまり直指流剣術を学ぶ。その後、武市の結成した土佐勤王党に加盟。しかし、なぜか後に名簿から削られている。武市の意向なのか分からないが、暗殺の現場には、武市の指示に従って進んで出ている。武市が、教養の無い以蔵を、ただ単に暗殺の道具として使ったともいわれている。

土佐藩下目付けの井上佐一郎をはじめ、同志の本間精一郎や池内大学、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人 村山加寿江の子多田帯刀などを天誅と称して暗殺(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。薩摩の田中新兵衛と共に「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられた。

八月十八日の政変後、勤王党は失速。武市が土佐に戻ると以蔵は土井鉄蔵と名を変え、一人京都に潜伏した。しかし元治元年(1864年)6月頃、幕吏に捕えられ入墨のうえ京洛追放、と同時に土佐藩吏に捕われ国もとへ搬送される。土佐藩では吉田東洋暗殺・京洛における一連の暗殺について土佐勤王党の同志がことごとく捕らえられ、上士格の武市瑞山を除いて厳しい拷問を受けた。以蔵も過酷な拷問に耐えたが、遂に全てを白状し、慶応元年(1865年)5月11日に打ち首、晒し首となった。辞世の句は「君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき 」。

墓所は高知県高知市薊野駅近郊の山中にある累代墓地。俗名・岡田宣振として埋葬されている

岡田以蔵の事績については同時代資料も本人の書簡なども乏しいが、その性格・性質についてはいくつかの資料によって伺うことが出来る。

『土佐偉人伝』(寺石正路)によれば、「性質は剛勇で武技を好み、非常に逞しい体躯を持った巨漢」であった。もっとも同書は皇国史観に伴って幕末勤皇志士が持てはやされた大正10年(1921年)に記された本であり、いささか美化された感もあるとされる。

最近の研究では実際には性格は粗く酒色を好んだとされ、殊に晩年は土佐勤王党の仲間からさえ疎まれていたようである。以蔵が捕縛されたと知った武市半平太は、実家への手紙で「あのような安方(あほう)は早々と死んでくれれば良いのに、おめおめと国許へ戻って来て、親がさぞかし嘆くであろう」と、以蔵に良い感情を持っていなかったことが伺われる。以蔵はまた、家が七軒町にあったことから「七以」と軽蔑的に呼ばれていたことも、田内恵吉(武市の実弟)などの書簡として伝えられる。

一説によれば、以蔵の捕縛を知った武市は彼の自白によって他の同志が危険に晒されるのを恐れ、自分に心酔した牢役人を通じて以蔵に毒を盛ろうとしたとさえ言われている。これは小説をはじめ広く知られるエピソードで、それらによればこの際、武市は性根の弱い以蔵が拷問に簡単に屈してしまうと心配したとか、以蔵が軽輩故に他の同士より一層激しく耐え難い拷問に遭うであろうと予想した、また、毒を送られた以蔵はそれを(毒とは知らずに)服んだが死なず拷問に屈して白状したとか、毒を見破って憤りのあまり自白に及んだなどと様々に解釈されている。

こうした点が、武市から見た以蔵が「ただの暗殺の道具」に過ぎなかったのではないか、とされる所以である。以蔵が晩年、武市らから冷遇されていた理由について諸書の記述によれば、他の同志より身分が低く教養が無いことによる差別的感情、彼が手がけた数々の暗殺が露見することにより他の同志に累が及ぶ危機感、彼が自刃してしまえばその露見が防げるにも拘らず彼自身がそれを行わなかったことに対する焦燥感や怒り、さらに“尊王攘夷・倒幕”を旨とする土佐勤王党に属しながら“開国派・幕臣”の勝海舟らの護衛を行うなどした(後述)ことにより“剣術こそ強いが確固たる思想・信念を持たぬ者”として軽蔑されたこと、などが原因ではないかと考えられている。

後に、岡田以蔵が所有していたとされるピストルが発見され、2006年7月1日より8月31日にかけ、高知県立坂本龍馬記念館の催し『それぞれの幕末‐龍馬・半平太・そして以蔵』にて展覧された。同館の説明によればこれはフランス製で、勝海舟より贈られた物だという。ちなみに「ピストル」とは公開の折に称されたものだが、厳密には回転式短銃(リボルバー)である。なお、当該短銃は個人所有の物を借用し公開された。

また、これとは別に中浜万次郎が護衛を受けた際に自らの短銃を以蔵に託そうとしたが受け取らなかったとの伝承もある。ただ、以蔵がこれら短銃を使用した記録は無く、詳細は不明である。

『岡田以蔵の写真』として出回っているものがあるが、その多くは岡田井蔵(おかだせいぞう)のものである。実際の以蔵をモデルとした写真や肖像は現存しない。

岡田以蔵 - Wikipedia
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