2010年02月22日

岩崎弥太郎

龍馬伝にも登場、弥太郎・母「へそくりつぼ」発見
グループの始祖岩崎弥太郎が「汚すぎる」NHK大河ドラマ「龍馬伝」に「三菱」がブーイング

この人物のオモテとウラ 香川照之(俳優)

友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

岩崎弥太郎香川照之):土佐藩・下士。最も低い身分から身を立て、大商社を一代で築いた。坂本龍馬福山雅治)に憧れとライバル意識を抱く。

香川照之「(汚くて)NHKの食堂に入れるのか心配」

教育熱心な母親のもとで勉学に励むようになる

「我、志を得ずんば、ふたたびこの山に登らず」・・江戸へ旅立つ前の強い決意

岩崎彌太郎

安芸市岩崎彌太郎像岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、1835年1月9日(天保5年12月11日) - 1885年2月7日)は日本の実業家で、三菱財閥の創業者。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。

土佐国(現在の高知県安芸市)の地下浪人・岩崎彌次郎(やじろう、1808年-1873年)とその妻・美和の長男として生まれた。地下浪人とは郷士の株を売って居ついた浪人のことである。曽祖父弥次右衛門の代に郷士の株を売ったといわれている。幼い頃から文才を発揮し、14歳頃には当時の藩主山内豊熈にも漢詩を披露し才を認められる。21歳の時、江戸へ遊学し安積艮斎の塾に入塾する。1856年父親が酒席での喧嘩により投獄された事を知り帰国。父親の免罪を訴えたことにより弥太郎も投獄され、村を追放される。その後、当時蟄居中であった吉田東洋が開いていた少林塾に入塾し、この時期後藤象二郎らの知遇を得る。

東洋が参政となると、これに仕え、藩吏の一員として長崎に派遣されるが、公金で遊蕩したことから半年後に帰国させられる。この頃、27歳で結婚した。 土佐勤王党の監視や脱藩士の探索などにも従事していた弥太郎は、吉田東洋が暗殺されると、その犯人の探索を命じられ、同僚の井上佐一郎と共に、藩主の江戸参勤に同行する形で大坂へ赴く。しかし、大坂で単独行動する際に必要な届出に不備があった事をとがめられ帰国。この直後、大坂に残っていた井上は岡田以蔵らによって暗殺され、弥太郎は一命を取り留めた形になったため、実は尊王攘夷派が勢いを増す京坂の情勢から捕縛の困難を悟り、任務を放棄し無断で帰国したともいわれる。帰国後、弥太郎は長崎での藩費浪費の責任なども問われ、職を辞した。

慶応3年(1867年)、後藤象二郎により藩の商務組織・土佐商会主任、長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事する。坂本龍馬が脱藩の罪を許され海援隊が土佐藩の外郭機関となると、藩命により隊の経理を担当した。弥太郎と龍馬は不仲であったともいわれるが、弥太郎の日記には、龍馬と酒を酌み交わすなど親交があった様子が記されている。

明治元年(1868年)、長崎の土佐商会が閉鎖されると、開成館大阪出張所(大阪商会)に移る。翌年10月、大阪商会は九十九(つくも)商会と改称、弥太郎は海運業に従事する。廃藩置県後の明治6年(1873年)に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で船2隻を入手し海運業を始め、現在の大阪市西区堀江の土佐藩蔵屋敷(土佐稲荷神社付近)に九十九商会を改称した「三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)」を設立。三菱商会は弥太郎が経営する個人企業となる。この時、土佐藩主山内家の三葉柏紋と岩崎家の三階菱紋の家紋を合わせて三菱のマークを作ったということはつとに有名である。

最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。弥太郎は最初から政商として暗躍した。

弥太郎の三菱商会は、1874年(明治7年)の台湾出兵に際して軍事輸送を引き受け、政府の信任を得る。1877年(明治10年)の西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げた。政府の仕事を受注することで大きく発展を遂げた弥太郎は「国あっての三菱」という表現をよく使った。 しかし、政商として膨張する三菱に対して世論の批判が持ち上がる。農商務卿西郷従道が「三菱の暴富は国賊なり」と非難すると、弥太郎は「三菱が国賊だと言うならば三菱の船を全て焼き払ってもよいが、それでも政府は大丈夫なのか」と反論し、国への貢献の大きさをアピールした。

1878年(明治11年)、大久保利通が暗殺され(紀尾井坂の変)、1881年(明治14年)には大隈重信が失脚し、弥太郎は強力な後援者を失う。1882年7月、三井財閥などの反三菱財閥勢力が投資しあい共同運輸会社を設立して海運業を独占していた三菱に対抗した。三菱と共同運輸との海運業をめぐる戦いは2年間も続き、運賃が競争開始以前の10分の1にまで引き下げられるというすさまじさだった。 こうしたライバルとの競争の最中、1885年(明治18年)2月7日、弥太郎は51歳で病死した。

弥太郎の死後、三菱商会は政府の後援で熾烈なダンピングを繰り広げた共同運輸会社と合併して日本郵船となった。このような経緯から日本郵船は三菱財閥の源流と言われている。なお弥太郎の娘婿から加藤高明及び幣原喜重郎の2人の内閣総理大臣を輩出している。単に財閥家族と血縁関係にあったり財閥の娘婿というだけの首相は他にもいるが、財閥創業者の娘婿が2人も首相になった例は他の財閥にはなく、三菱と国家の密接な関係を証明しているといえる。三菱商船学校(のちに官立の東京商船学校を経て現国立東京海洋大学海洋工学部)創設者である。

岩崎弥太郎とその弟・岩崎弥之助(三菱の2代目総帥)から始まる岩崎家は経済界の代表的な名門家系として知られている。三菱の3代目総帥・岩崎久弥は弥太郎の長男であり、4代目総帥の岩崎小弥太は弥之助の長男、すなわち弥太郎の甥にあたる。また弥太郎の孫には入江相政(侍従長、エッセイスト)の妻・君子やエリザベス・サンダースホームの創設者・沢田美喜、経済評論家の木内信胤らがおり、曾孫には鎮西清高(古生物学者、京都大学名誉教授)の妻・由利子やその兄で鎮西と同じく古生物学者の岩崎泰頴(熊本大学名誉教授)、泰頴・由利子兄妹の又従兄で東山農事(小岩井農牧の親会社)の社長を務めた岩崎寛弥(岩崎弥太郎家の4代目当主)らがいる。家紋は重ね三階菱。

なお弥太郎の死後、嫡男の久弥が父の業績に対し男爵を授けられた。岩崎家の2つの本家は華族だが、弥太郎の存命中は岩崎家は華族に列していなかった。

岩崎弥太郎 - Wikipedia

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2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

NHK大河ドラマ『龍馬伝』(1/3)視聴率23.2%

★★★


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★★★

亀山社中(かめやましゃちゅう)

龍馬伝

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