2010年03月15日

土佐勤王党 土佐勤皇党

攘夷:外国人を撃ち払って国内に入れないこと・・尊王攘夷とは,天皇を尊び,外国の勢力を打ち払おうという思想で,幕末にさかんに唱えられ,多くの志士たちをつき動かした

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友人・岩崎弥太郎の目線から見た坂本龍馬像を描く

2010年1月3日スタート『龍馬伝』NHK・午後8時

脚本:福田靖

★★★

龍馬伝』NHK・午後8時・

NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その1
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第11回「土佐沸騰」(3/14)その2

土佐勤王党 土佐勤皇党、幕末の土佐藩に存在した政治組織。

文久元年(1861年)、当時江戸にいた武市半平太によって結成される。血盟書はその直後に武市自身の手により土佐に持ち帰られ、最終的には200人余の参加者を集めることになる。その構成は下級武士や郷士・農民などを主としていた。なお、この中には坂本龍馬もいた(土佐藩士の中では、創設者である武市を除けば最初の加盟者であった)が、武市と考えが合わず、かなり早い段階で辞めてしまった。

武市は土佐藩参政・吉田東洋と会見を重ね、一藩勤王を説くも理解を得ることができず、翌文久二年(1862年)の土佐勤王党は、武市の主張する一藩勤王に対してかねてから懐疑的であった吉村虎太郎、坂本龍馬をはじめとした複数の脱藩者を出すことになる。朝廷からの上洛の内勅により薩摩、長州両藩において藩主を奉じて京に進出しようとする動きが出る一方、土佐勤王党にとっては事態がなかなか好転しない中にあっても当時の彼らにとって有利だったのは、吉田東洋の改革路線に対して、それを不満に思う保守派層が存在したことである。土佐勤王党は過激な尊王攘夷の思想を掲げており本来ならば正反対の立場にあるはずだったが、吉田東洋に対抗するという目的の下で協力関係が樹立され、文久2年4月8日(1862年5月6日)、武市の指令を受けた刺客によって東洋が暗殺されたことにより東洋派の重臣は失脚を余儀なくされ、代わりに藩政の中枢に復帰した守旧派を傀儡として、武市ら土佐勤王党は土佐藩の実権を掌握する。

同年8月、藩主山内豊範を奉じて入京する。この頃が土佐勤王党の最盛期と言って良いだろう。 京都において、土佐勤王党は一時的に尊王攘夷運動の中心となり、他藩応接役を任じられた武市は各藩との交渉や朝廷工作を行う一方、本間精一郎暗殺などの活動を行った。また10月に朝廷が幕府に対して攘夷実行を迫る勅使を江戸に派遣した際には、土佐勤王党からも武市ら相当数のメンバーが勅使の衛士として江戸に随行した。

しかし、翌文久3年(1863年)の八月十八日の政変以降、京都で尊王攘夷派に代わって公武合体派が強くなると、安政の大獄での謹慎を解かれて藩政を掌握した前藩主山内容堂は土佐勤王党の弾圧を行った。武市は投獄され、拷問は受けなかったが他の志士達が拷問を受けて遂に自白し、武市は切腹となる。この武市の死により、土佐勤王党は事実上消滅した。

この時期の他の藩の尊王攘夷運動と比較して土佐勤王党が特異であるのは、「一藩勤王」、つまりは個々人の志士が攘夷を唱えるに留まらず、藩全体をあげて勤王を行おうという思想である。他の藩の多くの志士は藩士と言うよりはむしろ個人で動くことが多かったのに対し、土佐勤王党は、あくまで土佐藩の内部から活動することに拘り続けたと言える。後に弾圧を受けた際、多くの志士が脱藩する中で武市は従容として投獄されたという。

武市半平太
池田応輔
大石団蔵
大橋慎三
大利鼎吉
岡田以蔵
北添佶摩
清岡道之助
河野敏鎌
坂本龍馬
曽和伝左衛門
田中光顕
野老山吾吉郎
中岡慎太郎
那須信吾
平井収二郎
弘瀬健太
間崎哲馬
宮地常磐
安岡嘉助
吉村寅太郎

土佐勤王党盟約文 [編集]
京にて大石弥太郎起草、武市瑞山清書。

堂々たる神州戎狄(いてき)の辱めを受け、古より伝はれる大和魂も、今は既に絶えなんと、帝は深く歎き玉う。 しかれども久しく治まれる御代の因循委惰という俗に習いて、独りも此の心を振い挙て皇国の禍を攘(はら)う人なし。 かしこくも我が老公夙に此事を憂い玉いて、有司の人々に言い争い玉へども、却ってその為めに罪を得玉ひぬ。斯く有難き御心におはしますを、など此罪には落入玉ひぬ。君辱めを受くる時は臣死すと。 況むや皇国の今にも衽を左にせむを他にや見ゆるべき。彼の大和魂を奮い起こし、異姓兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて国家興復の万一に裨補せんとす。 錦旗若し一たび揚らバ、団結して水火も踏まむと、爰(ここ)に神明に誓い、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御心を継ぎ、下は万民の患を払はんとす。左れば此中に私もて何にかくに争うものあらば、神の怒り罪し給うをもまたで、人々寄つどひて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書きしるしをさめ置ぬ。(原文ママ)

土佐勤王党 - Wikipedia

. 10、山内氏と土佐勤皇党
. 幕末列伝・土佐 . みねうち道?土佐勤王党と土佐の歴史? http://www10.ocn.ne.jp/~kenjiro/
. 武市半平太&土佐勤皇党について

2. 土佐の人物伝 ~土佐勤王党~
3. 土佐勤王党について‐みねうち道
4. 龍馬堂>>土佐藩概略>>土佐勤王党
5. 土佐勤王党と海援隊


posted by NHK大河ドラマ『龍馬伝』(福山雅治) at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 土佐勤王党 土佐勤皇党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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